川口松太郎略歴
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 – 1985年(昭和60年)6月9日)は大衆文学の先駆者、演劇作家、脚本家、演出家。
数多くの時代小説のほか恋愛小説などを多く書き、『新吾十番勝負』などが代表作。
妻は女優の三益愛子。 三益との子は、俳優の川口浩(長男)、川口恒(次男)、川口厚(三男)、元女優で陶芸家の川口晶(国重晶)(長女)。 妻の死後『愛子いとしや』を上梓して話題となった。
- 1899年(明治32年)10月1日東京都浅草で産まれ、左官職人、川口竹次郎の養子として入籍される。
- 1915年(大正4年 16歳)、久保田万太郎に師事し、文章を書き始める。
- 1916年(大正5年 17歳)、「流罪人藤助」を公団雑誌に発表。 同年、岩田専太郎との交流が始まる。
- 1919年(大正8年)、講談師・悟道軒圓玉の元で住み込み口述筆記の作業を行う傍ら、江戸文芸、漢詩文などを学ぶ。
- 1923年(大正12年)、小山内薫主宰の「劇と評論」に脚本「足袋」を投稿し、これが認められて大阪プラトン社に推薦され入社。 直木三十五らと共に、娯楽紙「苦楽」の編集を行う。 同年、帝劇の脚本に応募した「出獄」が当選。
- 1935年(昭和10年)、『風流深川唄』『鶴八鶴次郎』『明治一代女』で、第一回直木賞受賞。
- 1940年(昭和15年)、花柳章太郎らと共に、劇団新生新派主事となり、専属脚本化として長年にわたり脚本を書く。
- 1947年(昭和22年)、大映映画株式会社、制作担当専務取締役に就任。
- 1963年(昭和38年)、菊池寛賞受賞。
- 1965年(昭和40年、日本芸術院会員(第三部・演劇)。
- 1969年(昭和44年)、『しぐれ茶屋おりく』で、吉川英治文学賞受賞。
- 1973年(昭和48年)、文化功労賞受賞。
- 1985年(昭和60年)、勲二等瑞宝章。 6月9日、85歳没。